2014年度 4年生 ~箱根予選皆勤特集~
先日、4年生の3大駅伝フル出場者について振り返りましたが、箱根予選会のフル出場については触れていなかったので、そちらを振り返ってみたいと思います。箱根予選を4年連続で走るということは4年生世代が高3~大3の間に箱根でシード権を獲得出来ていないということで、決して喜ばしいことでは無いかもしれませんが、それでも4年間箱根予選を走り続けるというのも簡単なことではありません。シードを獲得出来なかった大学にとっては、箱根予選を突破出来ないことには始まらないですし、そんな状況において4年間きっちりと走ってくれた選手というのはチームにとっても頼もしい存在だったでしょう。
そんな4年連続の箱根予選出場者は神奈川大の柿原、上武の倉田・佐藤・大西、東農大の竹内、専修の斉藤・吉良、創価の小嶋の8人います。箱根に4年連続で出場した選手よりも少ないですね。。。では、1人ずつ簡単に振り返ってみます。
柿原は1年時こそ全体54位でチーム5位に留まっていましたが、2~4年はいずれもチームトップ、その中でも3年時の6位、4年時の3位がキラリと光ります。タイムも59分25秒、59分17秒といずれも優秀です。柿原が台頭してくるまでの神奈川はエース不在で金太郎飴のチームと言われたこともありましたが、チームのエースとして箱根予選では大きな貯金をもたらし、3大駅伝でもエース区間で結果を残してきました。チームの戦力も着実に上がってきていただけに、シードを一度も獲得出来なかったのは残念でした。続きは頼もしい後輩たちに託すこととなります。。。
上武は倉田・佐藤・大西と3人もおり、最多となります。ダブルエースである倉田・佐藤が4年連続出場しているのは分かっていましたが、大西は失礼ながらちょっと意外な気もします。倉田は1年時から51位とまずまずの順位で走っており、その後34位→12位と着実に順位を上げていきました。怪我に苦しんだ4年生こそ88位に終わりはしましたが、柱の一人として安定した結果を残してくれたのでは?特に3本柱(倉田・佐藤・山岸)への依存が強かった3年時は佐藤・山岸がやや振るわない中、倉田が孤軍奮闘の活躍で、増枠に頼りながらも予選会通過を果たしました。
佐藤は1年時に10位という素晴らしい箱根予選デビューを果たしました。ルーキーらしからぬ走りでしたね。2年時も22位で走りましたが、3年目以降は苦戦し、96位→92位に終わっています。3大駅伝や予選会の結果を見ても、1年時が最も活躍していたように思えて、それが残念ですね。。。決して2年目以降も悪くは無かったですし、大事な大会にはきっちりと合わせてきていたのですが、1年目が凄すぎただけに、物足りなく感じてしまいました。
大西は4年間の成績が154位→101位→118位→59位と100位台が3回もあり、なかなかに苦しんだ箱根予選会ではありますが、チーム内順位で見ると、12位→8位→6位→3位と学年が上がるにつれて順位もあげてきているんですよねー。どうしても倉田・佐藤に目が行きがちな上武の4年生ではありますが、二人を筆頭に元々期待されていた世代ですし、その中で大西も結果を残してきました。
竹内は1年時こそ71位に終わっていますが、2年目以降は9位→19位→13位と3年連続で20位以内をキープする高いレベルでの安定感を発揮しました。タイムも60分2秒→60分→60分10秒とわずか10秒の間に3回とも収まっているんですよね。2年時はまだ主力と呼べる存在では無いと思っていただけに、9位に入ってきたのにはびっくりしました。一方で3年時は不調にあえいでいる状態だっただけに、前回並みの走りは難しいだろうと思っていたらタイムではそれを上回る走りでこれまたびっくりすることに・・・トラックでは好不調の波が激しい時もありましたが、ロードでは安定した結果を残してくれました。
専修大学はこの4年間で増枠のあった1度しか箱根出場は叶いませんでしたが、斉藤、吉良という主力二人が4年連続で箱根予選会に出場しました。特に斉藤は1年時こそ142位に終わっていますが、2年目以降は40位→22位→26位と堅実な走りを見せ、チーム内順位も2位→1位→1位とエースとしての役割をきっちり果たしました。吉良は順位だけを見ると100位→121位→33位→175位と3年時意外は苦戦していることが分かります。ただ、チーム内順位を見ると6位→6位→2位→3位とチーム内ではきっちりと上位で走っているんですよね。それだけ、チームとして苦しかったとも言えますが・・・3年時はチームも7位通過で本戦出場を果たしており、チーム・個人ともに噛み合った走りが出来ました。逆に4年時は175位で3位というチーム状況になってしまいましたが・・・
小嶋は1年生にして既に主力として活躍する選手でした。4年間は167位→113位→219位→183位と2年時以外はかなり苦しい走りを強いられましたが、チーム内順位は4位→3位→5位→10位ですからね。チームが最高の走りをした4年時こそ10位でしたが、それ以外は5位以内でチーム内でも主力としての走りを見せました。4年時が最も良くなかったこともあり、最初で最後の箱根に出場出来なかったのが非常に残念ではありますが、苦しい時にチームを支えた選手でした。