2014年度 4年生 ~3大駅伝皆勤賞~
4年生特集、続いては3大駅伝の皆勤賞について振り返ってみたいと思います。4年時の出雲は出場予定だった選手を出場したとみなして見ていきます。4年連続3大駅伝出場、いわゆる全12回全てに出場したのは何度も書いていますが、駒澤の村山謙太と明治の大六野の2人だけです。大学自体が4年間3大駅伝に出場し続けたのは駒澤、東洋、明治、早稲田の4大学だけです。箱根優勝した青山学院でさえ、全日本で出場できなかったことがありましたからね。チームがフル出場するのでさえ大変なことが良く分かります。さらに、そんなチームの中でメンバーに選ばれ続ける走力があること、駅伝シーズンに故障しないことなどが求められるわけですから、ハードルは高いです。
謙太がつなぎ区間を走ったのは2年時の出雲2区のみで他は主要区間を任され続けています。ベストレースを挙げるとすれば、3年時の全日本4区で見せたモグスの持つ区間記録を破った走りでしょうか?3年目以降は高いレベルでの安定感を誇り、区間賞を3度獲得しています。大六野は12回全てにおいて主要区間を任されています。ベストレースは4年時の全日本8区ですかね?留学生を含めたエース級が揃う全日本8区での区間賞は圧巻でした。
続いては各大会ごとにフル出場を見てみます。出雲に4連続で出場したのは、早稲田の山本、青学の藤川の二人だけですね。チームが出雲に出場し続けるためには箱根シードか前年度出雲3位以内が必要ですからね。さらに、出雲の出場枠はわずかに6人と狭き門です。絶対に外せない選手となるかスピードのある選手で無ければ難しいですね。山本は1年時から主力選手として活躍していました。4年連続で主要区間である3区を任されていたことからもそのことが伺えます。一方の藤川は下級生の頃はどちらかと言えばスピードがあるから起用されていたという感じですね。1~3年時はいずれも最短区間である2区を任されていましたし・・・上級生になってからはもちろん欠かせない選手へと成長を遂げました!
全日本のフル出場は出雲に続いて早稲田の山本、そして明治の有村とこれまた二人だけです。3大駅伝フル出場どころか同一大会で4年連続出場することも困難なことが分かります。山本は1年時に1区12位と失敗レースとなってしまったんですよね。早稲田の1区は大迫以外はどうしても結果が出ないという苦しい状況でした。2年目以降は同じく主要区間である4区を3年連続で任され、2位→3位→2位と区間賞こそ無いものの全て3位以内という素晴らしい安定感でチームを支えました。
有村は全日本はどちらかと言えばつなぎ区間を走ることが多く、3区→5区→4区→3区と主要区間は3年時に走った4区のみです。1年時こそ3区7位でしたが、2年時の5区では区間記録に1秒差に迫る快走で区間賞、この3週間前の出雲では1区で最下位スタートという最悪の走りをしてしまっていただけに、見事に立て直す走りでもありました。4年時には3区を走って区間賞と全日本で2度の区間賞を獲得しています。
最後に箱根を4年連続で走った選手を見てみるとさすがに多く・・・山梨学院の井上、東洋の田口、中央の新庄、明治の有村、城西の村山紘太、順天堂の松村優樹、上武の佐藤、國學院の沖守、大下、中央学院の山田と合計で10人もいますね。出場出来る大学も出場出来る選手も最も多い箱根なだけはあります。簡単に見ていきますと・・・
井上は主力とはまだ言えなかった1年時から1区10位と安定した走りを見せていたんですよね。その後も3区7位、5区6位相当、3区3位と安定はしていますが爆発的な走りを見せるまでには至らなかった気も・・・もちろん、チームにとって欠かせないエースではありましたが。田口は1年時の箱根4区区間賞で衝撃のデビューを飾ってチームも優勝、その後は3連続で1区を走り1位→3位→4位と素晴らしい走りを披露し続け、3年時には2度目の優勝を果たしています。箱根での安定感が際立っていました。
新庄は2年時の2区20位が悪い意味で衝撃的でした。最後はフラフラになってしまいましたが何とかタスキを繋げました・・・しかし、5区で途中棄権に。。。新庄も自分がしっかりと走れていればまた結果は違ったのではと悔しがっていました。3年時に1区14位、4年時に2区9位と圧倒的な走りというわけにはいきませんでしたが、主要区間でも安定した走りを見せました。有村は3年時までずっと復路で8区3位→7区3位→8区2位と区間賞こそ無いものの全て3位以内にまとめていました。初の往路となった4年時も区間賞に1秒及ばずの3区2位と好走、箱根では1度も外すことのないチームにとって欠かせない選手でした。
紘太は1年時こそ1区5位と快走を見せたものの、2,3年時は2区15位→2区18位とエース区間でいずれも奮わない結果となってしまったんですよね。どちらも万全では無かったようですが、それにしてもらしくない結果でした。一躍大学トップクラスへと成長を遂げた4年時も万全では無かったようですが、2区2位の快走、シード権獲得に大きく貢献する大エースの走りを見せました。松村優樹は1年ながら23km区間の9区を任されて区間5位の快走、箱根予選最下位通過からのシード獲得に大きく貢献しました。2年目以降も9区7位、ハイペースとなった3,4年時の1区も9位→7位と手堅くまとめ、4位以内は1度も無かったものの、区間二桁も一度も無いという安定した走りを4年間見せてくれました。
1年時に1区を任されて7位といきなりの快走を見せるなど、大活躍だった1年時を象徴する走りでした。しかし、2年時は2区18位と苦しい走りとなり、その後はやや精彩を欠くことに・・・それでも、3年時は3区10位、4年時に2区15位と苦しいながらも何とかまとめる走りを見せ、4年間主要区間を走り続けました。沖守は1年時こそ4区13位でまとめましたが、2年時以降は1区19位→3区21位→2区17位といずれも往路の主要区間を任されながら17位以下に沈むという悔しい結果に終わってしまいました。力を付けてきた4年時は大いに期待したのですが、ちょっと力を発揮しきれませんでしたね。。。
大下は1年時こそ7区16位でしたが、その後は5区を任され続けることに・・・結果は11位→16位→14位とブレーキまではいきませんでしたが、一度も区間一桁が無かったのは残念だったかなあ。箱根5区で区間一桁で走るチームの多くがシードを獲得するほどの最重要区間となっていますからね・・・中央学院の山田は怪我がちでちょっと意外だったのですが、箱根にはしっかりと合わせてきたんですよね。1,4年時は9区を任されて15位→16位とちょっと奮わないものでしたが、2,3年時はいずれも10区を任されて6位→7位と結果を残しました。9区と10区のレベル差を考えるとそこまで差があるとも言えないのかな・・・?往路に選手を注ぎ込み復路が手薄になることが多い中央学院にとって、貴重な復路の戦力でした。