監督特集 ~駒澤大学 大八木弘明~
本日は少し趣向を変えて、選手の特集ではなく監督の特集を行ってみたいと思います。まずは駒澤大学の監督である大八木監督から・・・23大学全ての監督特集をしようと思ったのですが、私があまり詳しくない監督について語っても大した記事にはならないので、ある程度の知識がある監督に限って(恐らく10人前後?)特集していきたいと思います。
学生時代
高校卒業後は家庭の事情で大学進学をせずに、現在の小森コーポに就職しています。それでも、箱根への夢を諦めきれずに駒澤大学の2部(夜間)に入学、昼は働きながら夜は大学に通うという大学生活でした。駒澤大学を選んだのも働きながら通うのに都合が良かったというのが大きかったようで、大八木監督がこの決断をしていなかったら、今の駒澤大学は全く違うものになっていたでしょうねえ。強豪と呼ばれることも無かったかもしれません。箱根では1年時に5区区間賞、3年時には2区区間賞と大活躍を見せ、2区を走った直後にジープに乗り込んで3区の選手を応援するなんて逸話があったり・・・4年時は当時はあった年齢制限で出場することが出来ず、卒業後はヤクルトで実業団選手となっています。
コーチ就任
大八木監督がコーチ就任を打診された時は駒澤大学はまさに暗黒時代で、何とか連続出場は続けていたものの、次に連続出場が途絶えるのは駒澤大学とまで言われていました。余談ですが、私が駒澤大学のファンになったのは、弱かったのが一番の理由だったと思っています。当時の記憶は曖昧ですが、順天堂と駒澤が最下位を争っていて、結局駒澤が最下位だったので、どうせなら一番弱いところを応援しようと思った気が・・・それがまさかその後は黄金時代を築き、常に優勝争いをする大学になるとは思いもよりませんでした。ある意味、見る目があったのかもしれません(笑) 大八木コーチ就任後、チームはガラリと変わります。大八木監督にとって何よりも幸運だったのは、コーチ就任の初年度に藤田敦史が入学してくれたことですねー。入学してすぐに藤田の貧血を指摘し、改善されるとマラソンで日本記録を樹立するなど、日本を代表するランナーへと育て上げました。当時はチームも荒れていて色々とあったようですが、結果はすぐに出始めます。
実績
1997年の箱根では復路に戦力を注ぎ込み、復路優勝を達成、まずは復路優勝であっても優勝出来るという意識をチームに埋め込みたかったみたいですねー。その後は出雲で1998,1999年連覇、全日本は1998,1999年連覇、そして箱根も2000年に初優勝を遂げ、2002~2005年の4連覇で一時代を築きます。その後は箱根でなかなか勝てず、2008年の優勝のみに留まっていますが、過去5年の成績は2,3,2,3,2位といずれも3位以内に入っており、その安定感が際立ちます。出雲もなかなか勝てず、昨年度の2013年に3度目の優勝を果たしました。その一方で全日本は極めて安定した結果を残しています。1998年の初優勝以降、2013年までの16年間の間に11度の優勝と勝率は68.8%を誇ります。優勝回数も日体大と並ぶ歴代最多で、3連覇が2度、2連覇が2度と連続して勝てるチームを作り上げています。
3大駅伝の優勝回数は出雲3,全日本11,箱根6で合計20回、大学の歴史を見ても20回優勝した大学がほぼ無いことを考えても、自身がコーチに就任して19年で20回優勝させるというのはまさに驚異的です。2014年度も優勝候補も優勝候補として3大駅伝に登場してくるでしょうし、出雲は2連覇、全日本は4連覇、箱根は2008年以来の優勝を目指します。途中シード落ちなども経験しましたが、初優勝以降、ずっと優勝候補として名前が上がるチームを作り続けているというのは称賛に値しますね。過去に黄金期を築き上げた大学はいくつもありますが、現在が初の黄金期である東洋を覗いてはいずれも低迷期を経験していますから。。。
その他
駒澤が箱根で4連覇していた時代、トラックで活躍する選手は少なく、駅伝だけと揶揄されることもあったように思えます。実際には妬みもあったでしょうが、事実でもあります。当時は決してスカウトも良くはなく、育成力と采配でチームを優勝へと導いていました。それが、宇賀地、高林、深津と13分台トリオが入学した頃からスピード重視にシフトし、伸びしろを残すような指導方法に変えたと語っています。実際、卒業後に3人とも1万mで27分台を出し、宇賀地は世界陸上に出場して27分台で走るなど卒業後も活躍する選手へと育て上げたのは監督の手腕によるところが大きいでしょう。その後も、国内トラックの最高峰である日本選手権で入賞する選手が何人も現れ、2014年度も1万mで村山謙太、窪田が入賞を果たしています。
トラックで活躍する選手が増え始めるのに反比例して箱根で勝てなくなっていったのは皮肉ではありますが、高校時代トップクラスの選手が毎年のように加入するようになり、世界で戦えるようになりたいという選手が何人もいる状況を考えると、ハーフという世界選手権でもオリンピックでも存在しない距離に力を入れるよりは、5000mや1万m、またはマラソンに力を入れるのも一つの考え方かなと思います。ファンとしては少し寂しい気もしますけどねー。
大八木監督が監督のうちは問題無いでしょうが、もうすぐ56歳を迎えるにあたり、後継者も気になるところですねー。あれだけのずば抜けた実績があるからこそ、優秀な選手が集まり、切磋琢磨してチームも強くあり続けるのでしょうから・・・その後を継ぐのは誰であっても容易では無いでしょう。箱根9区で順天堂の高橋謙介と熾烈なデッドヒートを演じ、現在は駒澤のコーチをしている高橋正仁や長い現役生活を終えて富士通のコーチになった藤田敦史あたりが候補になるのかなあ??まあ、まだまだ先の話だと思いますし、長く監督を続けてもらい、まだまだファンをワクワクさせるような魅力あるチームを作り続けてほしいと思います!!!
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