2022年度 4年生特集 ~青山学院大学~
本日は青山学院大学の4年生について、在学中での走りを振り返っていきます。3大駅伝・予選会のエントリー経験者は12人おり、これは全大学最多です。9人が3大駅伝出場、1,3年時には箱根優勝を達成しています。4年時には全日本に6人、箱根に7人出場するなどチームの中心学年として活躍を見せました。3大駅伝未出場者も含めてチームの選手層の厚さを支えてきただけに、来年度はガラッとチーム状況が変わりますね。
高校ベストは14分8秒、1年の箱根からメンバー入りを果たしています。2年時の全日本で3大駅伝デビューを果たしましたが、2区13位とほろ苦い結果となりました。しかし箱根では7区3位の好走、そこからエースへと飛躍を遂げることに。3年時は5千で13分34秒、1万で28分10秒の大学ベストをマーク、関東インカレ1万mで6位入賞、日本インカレ5000mでは優勝を果たしました。3大駅伝では出雲1区で区間賞、全日本ではエース区間の7区で区間2位の快走、箱根ではエース区間の2区で区間7位で走ってチームの優勝に貢献しました。
そして迎えた最終学年、トラックシーズンは故障で姿を見せませんでしたが…日本インカレ5000mで2年連続の優勝を果たして復活を果たすと、出雲では3区3位、そして全日本では2年連続の7区で区間2位、49分52秒という驚異的なタイムを叩き出しました。最後の箱根では2年連続の2区で2位、区間賞は2秒差で逃したものの5大会連続の激突となった駒澤の田澤を最後の最後で上回る走りを見せました。下級生の頃を考えるとここまで大学を代表するエースになるとは思いませんでした。
高校ベストは14分23秒、2年時までは3大駅伝のエントリーはありませんでしたが、3年の出雲で3大駅伝デビューを果たし5区6位、全日本はエントリー止まり、箱根は3年連続でエントリーとはなりませんでした。箱根後にはハーフで62分36秒をマークしており大学ベストとなっています。飛躍を遂げたのは4年時、関東インカレ5000mで6位入賞を果たすと、5千で13分37秒、1万で28分19秒といずれもチームトップクラスのタイムを叩き出しました。
駅伝では出雲で1区3位、引き続き1区を任された全日本では一人集団から抜け出す積極的な走り、終盤に後続と差を詰められたものの、区間2位でまとめたのは上出来と言って良いでしょう。最初で最後の箱根でも1区を任されて区間7位、4年時は3大駅伝に限らず記録会でもトラックでの勝負レースでも失敗レースの無い安定した走りを続けました。
高校ベストは14分10秒、1年の出雲で2区区間賞と鮮烈なデビューを飾ると、全日本では2区5位、そして箱根でも1年にしてエース区間の2区を任されて区間5位と圧巻の走りでチームの優勝に貢献しました。この箱根での走りは衝撃的でしたね…1年時にこの学年に出場したのは岸本のみ、別格の活躍でした。しかし、その後は故障に悩まされて2年時は3大駅伝未エントリーどころか記録会にも1年出場しないほどに…
復活を果たしたのは3年時、全日本では主要区間の3区で3位、箱根では7区区間賞でチームの優勝に貢献しました。その後学生ハーフでマークした63分49秒が大学ベストとなっています。4年時には関東インカレ1万mで2位と最後まで優勝を争う走り、5千で13分37秒、1万で28分20秒の大学ベストも4年時にマークしました。全日本ではまだ万全ではない中で5区4位、箱根では5人抜きという圧巻の走りで区間賞を獲得、駅伝で強さを見せつづましたが中でも箱根での強さは圧倒的でした。
高校ベストは14分21秒、2年時までは3大駅伝のエントリーはありませんでしたが、1年時にハーフで62分30秒と大学ベストとなるタイムをマークしています。3年時には1万で28分21秒の大学ベストをマーク、関東インカレハーフでも優勝を果たしています。出雲で3大駅伝初エントリー、全日本では6区出場予定でしたが体調不良で出場出来ず、箱根も出場には至らず…
4年時には5千で13分53秒の大学ベストをマーク、関東インカレハーフでは3位と2年連続で表彰台に上がる走り、3大駅伝では全日本、箱根にエントリーと5度のエントリーも結果的には一度も出場出来なかったんですよね。持ちタイムも関東インカレの実績も申し分無かっただけに駅伝で見れなかったのは残念でした。
高校ベストは14分15秒、1年時には3大駅伝未エントリーも2年の全日本、箱根でともにエントリーを果たしています。3年時には出雲で最長区間の6区に抜擢されて区間3位の快走を見せました。しかし、その後は全日本、箱根ともにエントリー止まりで出場出来ず…4年時、関東インカレハーフで5位入賞、5千で13分46秒、1万で28分24秒と大学ベストをマークと勝負レースでも記録会でも結果を残しました。
最後の駅伝シーズンでは、出雲では2区4位、全日本では4区2位の快走でチームを押し上げる走り、箱根では3区8位と4年時に3大駅伝フル出場を果たしました。そして、先日行われた別府大分毎日マラソンでは2時間7分47秒の学生新記録を叩き出してMGC出場権を獲得しました。前年度もマラソンで悪くない走りを見せていましたが、そこから1年で一気にタイムを縮めてきましたね、卒業後も非常に楽しみです。
高校ベストは14分13秒、1年の全日本からメンバー入り、箱根後には62分52秒の大学ベストをマークしています。2年の全日本で3大駅伝デビューを果たすと、主要区間の3区で3位とデビュー戦から好走を見せました。箱根ではエース区間の2区に抜擢されましたが、ここでは区間14位と苦しい走りに…3年時の全日本では2区14位と2大会連続で下位に沈んでしまいました。
その後1万で28分29秒の大学ベストをマークすると、箱根では9区で1時間7分15秒という驚異的なタイムを叩き出し、区間新&区間賞を獲得しました。4年時には5千で13分45秒の大学ベスト、日本インカレ1万mで5位入賞、出雲では最長区間の6区で3位、全日本でも6区3位と安定した結果を残していただけに、最後の箱根を故障で出場出来なかったのは残念でした。
高校ベストは14分8秒、12人の中で最もタイムが良いのが中倉でした。1年の箱根からメンバー入りを果たすと、箱根後にはハーフで62分26秒と大学ベストとなるタイムをマークしています。2年の箱根で10区を走って区間4位、上々の箱根デビューを果たしました。3年時には5千で13分55秒、1万で28分33秒と揃って大学ベストをマークすることに。
出雲、全日本はエントリー止まりでしたが箱根では10区で1時間7分50秒という驚異的なタイムで区間賞&区間新を獲得、歴代最高タイムで優勝のゴールテープを切りました。4年時は故障もあって出雲、全日本はエントリーされませんでしたが、最後の箱根には間に合わせて3年連続の10区、区間7位と3年間では最も区間順位は悪かったですが、後続との差が近い中でしっかりと総合3位を死守しました。
高校ベストは14分19秒、1年の箱根からメンバー入りを果たし、箱根後にはハーフで62分26秒といきなりの好タイムをマーク、これが大学ベストとなっています。2年時は全日本でメンバー入りを果たすも出場には至らず。3年時には5千で13分52秒、1万で28分34秒といずれも大学ベストのタイムをマーク、箱根でもメンバー入りしましたが、エントリー止まりということに。
4年時には3大駅伝未経験ながら主将を任されることに。出雲でエントリー、全日本では最長区間の8区で3大駅伝デビュー、区間10位で総合でも2→3位と1つ順位を下げましたが、ラストは1秒差で3位は死守しました。最後の箱根では残念ながらエントリーされることはありませんでした。
高校ベストは14分18秒、1,2年時は3大駅伝のエントリーはありませんでしたが、2年時に5千で14分5秒、1万で28分56秒と大学ベストをマークしています。3年時には全日本、箱根ともにメンバー入り、箱根後にはハーフで62分26秒をマークして大学ベストとなっています。4年時には全日本でメンバー入りを果たしたものの箱根にはエントリーされず、3度の3大駅伝エントリーを経験するも出場には一歩届きませんでした。
高校ベストは14分9秒、1年時に5千で13分57秒をマークしてこれが大学ベスト、1年の出雲、全日本とメンバー入りを果たしている数少ない選手です。2年時の箱根でもメンバー入りを果たすも出場には至らず…3年時には1万で29分1秒、ハーフでも63分15秒といずれも大学ベストをマークしています。しかし、下級生で3大駅伝全てに1度ずつメンバー入りを果たしたものの、上級生となってからは3大駅伝にエントリーされることは残念ながらありませんでした。
高校ベストは14分30秒と12人の中では最も悪いタイムでしたが、1年時にハーフで63分13秒をマーク、2年時に1万で29分3秒と大学ベストをマークすると、箱根でもメンバー入りを果たしています。3年時には5千で14分5秒をマークするもその後はなかなか3大駅伝にエントリーは果たせず…それでも4年時の箱根では6区予定も急遽前日に5区に起用されて区間9位、苦しいチーム状況の中で何とか1桁順位でまとめました。
高校ベストは14分25秒、ハーフベストは1年時にマークした66分41秒、3年時に1万で29分12秒をマークするも3大駅伝のエントリーはありませんでした。4年時には関東インカレ1500mで5位入賞、5千で14分1秒の大学ベストをマークすると、最初で最後の箱根で初エントリー&急遽6区に起用されることに。しかしここでは力を発揮することが出来ず、区間最下位というあまりにも悔しすぎる結果となってしまいました。