駒澤3冠への軌跡 その2 ~3冠阻んだもの①~

駒澤はこれまでに2冠を8度達成しています。それで1度も3冠を達成できていないということは、8度も阻まれていることになります。まずは1~4回目の2冠を振り返りつつ、3冠を阻んだものたちを見ていきます。

1998年度:順天堂大学

前年度に出雲を制覇して3大駅伝初優勝、さらに出雲で2連覇を果たしたのが1998年度、全日本でもエースの藤田に神屋、揖斐ら強力ルーキーを擁して初優勝、区間賞5つを獲得しての優勝で初めて3冠に王手をかけました。展開としては同じく3冠王手をかけた2013年度に似ているか。選手層はそこまで厚くは無かったものの、箱根でも優勝候補として臨むことに…


そこに立ちはだかったのが出雲で5位、全日本では8位だった順天堂大学、クインテットが1年時、1学年上に高橋謙介、宮崎、宮井の最強トリオ、そしてエース区間の2区には66分46秒を叩き出た4年の三代がいました。駒澤は4区藤田の驚異的な区間新でトップに立ち、8区まではトップでレースを進めましたが、9区高橋、10区宮崎の2区間だけで5分以上の差をつけられて総合2位、箱根初優勝、そして3冠の夢は散りました。

1999年度:順天堂大学

1999年度は全日本で駒澤が連覇を達成、箱根では4年に前田(現國學院監督)、大西、西田、2年に神谷、揖斐、高橋、1年に島村、布施、松下らを擁する強力な布陣で2位の順大に4分以上の差をつけて箱根初優勝を果たし、2冠を達成しました。全日本、箱根を勝っての2冠というのが駒澤は多いです。3大駅伝初優勝も初の連覇も出雲でしたが、駒澤は出雲をその後苦手としてきたこともあり、出雲と箱根を勝っての2冠というのは一度もありません。


1999年度は出雲が3位に終わっていますが、ここで優勝を果たしたのが順天堂大学、もうこの時期には何度も名前の挙がるクインテット+宮井、高橋で優勝を果たしました。駒澤もこの頃はエース力というよりは総合力で戦うチームでしたから、出雲を勝つのは容易では無かったですね。順大に1分19秒の差をつけられていますし、2位には留学生がいなかった山梨学院大学が入っています。全日本でも山梨学院は駒澤とわずか27秒差の2位、神屋が50秒差を8区で逆転しての連覇でした。

2001年度:順天堂大学

単純にタイム差だけで言えば、この2001年度が最も3冠に近かったとも言えます。全日本では2位の山梨学院に1分20秒差をつけて連覇を達成、箱根では2位の順大に約4分の差をつけて優勝と2位は2年前と同様、そして出雲はわずか10秒差の2位ということで、出雲が後11秒速ければ3冠を達成出来たということに…ここで三度立ちはだかったのが順天堂大学でした。


この年は順大クインテットの最終学年、当然のように6区間中その5人が出場してきました。5区終了時では1位順大と2位駒澤の差はわずかに2秒、アンカー対決は順大の岩水 vs 駒澤の神屋となりましたが、あと一歩届きませんでした…その後の全日本では3区以降、箱根では6区以降首位に立ってから一度もトップを譲ることのない盤石なレースを見せていただけに、出雲をあと一歩取れなかったのが惜しすぎました。この4年間は順大の恐ろしさを存分に見せつけられることとなりました。

2002年度:山梨学院大学

2001年度に続いて、2002年度も駒澤は全日本で連覇を達成、箱根でも連覇を達成しました。松下、島村が4年時、内田、北浦が3年、箱根4連覇を達成した田中、塩川が2年、ルーキーも佐藤、糟谷と4学年全てに主力がいる強力布陣でした。全日本は6区で先頭に立つとそのまま逃げ切りましたが、箱根では8区まで山梨学院が先行していましたが、9区島村で逆転しての優勝を果たしました。最終的には4分41秒もの差をつけていますし、総合力で上回っていました。


この頃は3大駅伝全てにおいて留学生を複数起用することが可能だったため、4年のカリウキ、2年のモカンバという留学生コンビに日本人選手も橋ノ口、高見澤らを擁した山梨学院が全日本、箱根ともに2位に入っています。そして出雲を制したのが山梨学院大学、留学生は6区モカンバのみの出場でしたが、5区終了時で5位→6区で大逆転での優勝を果たしました。ただ、この時の駒澤は出雲3位、原田、吉村、下里らを擁した神奈川大にも敗れての3位となっています。5年間で4度の2冠というまさに黄金時代を築いていましたが、それでも3冠には手が届きませんでした。

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