選手特集(17卒) 青山学院大学:一色 恭志 ~3連覇を狙う王者の絶対的柱~
4年生の個別特集、昨年度は時間も(やる気も?)無くて取り上げることはありませんでしたが、今年はまた注目の4年生を個別に取り上げていこうと思います。誰を、いつ、何人取り上げるかはいつも通り気まぐれになりそうですが…まずは、青山学院大学の一色 恭志について、高校時代~大学4年間を振り返ります。
~~高校時代~~
京都の橋立中学から宮城の仙台育英高校に進むと、1年から都大路に出場、2区で2位と上々のデビューを飾りました。期待のルーキーが走ることが多い2区、既に大器の片鱗は見せていましね。
2年時にはインターハイに出場すると1組6位で決勝に進出、決勝でも14分22秒で10位に入るなどトラックでもその力を見せました。都大路では7区を任されて区間賞、チームが苦戦する中14分13秒とタイムも良かったですね。
3年時、東日本大震災の影響もあって仙台育英→愛知の豊川に主力が揃って集団転校しました。そのため、インターハイには出場できず、、、都大路に全てを賭けることとなりました。既にダントツのトップでタスキを受けた4区、美しいフォームで走り抜けるとまたしても区間賞を獲得、チームの都大路制覇に貢献しました。
~~大学時代~~
1年生
全日本予選に出場して2組1位と通過に貢献した後、ルーキーながら3大駅伝全てで主要区間を任せられました。出雲こそ3区7位に留まりましたが、全日本では1区6位、箱根でも1区6位と安定した走りを披露、早くもチームに欠かせない選手になりました。
2年生
関東インカレ2部ではハーフに出場して2位に入りました。1万mの持ちタイムでも28分23秒と大学ベストとなる好タイムをマークしています。全日本では2年連続の1区で6位、今の一色の力からすればこれでも物足りない結果でしたかね。箱根ではエース区間の2区を任されると区間3位、67分45秒の好走で青学の初優勝の立役者となりました。あっという間に大学トップクラスのランナーに上り詰めることに…
その後、丸亀ハーフで62分9秒と大学ベストとなる好タイムをマークすると、学生ハーフでも62分11秒の好タイムで優勝、ユニバ代表の座を射止めました。ユニバでも同じ青学の先輩である小椋にこそ破れたものの、2位に入りました。
3年生
関東インカレ2部5000mでは3位表彰台に入る走り、その後13分40秒までベストを伸ばしています。駅伝シーズン、3冠を狙う強大な戦力を誇る青学の中でも神野、久保田、小椋らと四天王とまで呼ばれるようになりました。その中でもさらに強さを披露、出雲では6区2位、日本人歴代トップとなる29分11秒をマークして優勝のゴールテープを切りました。
全日本でもトップの勇馬とタイム差無しで区間2位の走り、箱根では2年連続の2区を任されると、前回をさらに10秒上回る67分35秒で3位、2連覇を達成するチームで2年連続の2区快走でした。さらに、箱根後は東京マラソンにも挑戦すると2時間11分45秒で日本人3位の走り、充実の1年となりました。
4年生
関東インカレ2部1万mではラスト勝負で破れて惜しくも2位でしたが、5000mでは逆にラストで突き放して優勝、本当に1年の時から一色の失敗レースを見たことは無いですね…日本選手権5000mでも終盤まで先頭集団に食らいつき、後一歩で表彰台というところまで迫っての4位、大学トップクラスどころか日本トップクラスの選手であることを証明しました。
高校トップクラスでありながら、ここまで年々着実に成長を遂げていく選手というのも珍しいですね…卒業後は花田監督(元上武大監督)、原監督(現青学監督)がアドバイザーを務めるGMOアスリーツに進むことに…まだ新設されたばかりのチームではありますが、上武大OBや青学OBが着々と加わってきており、今後が楽しみなチームですね。
既にマラソンで実績を残しているのも心強く、日本トップクラスの選手として今後どこまで結果を残していくか非常に楽しみです。まずは大学最後となる3大駅伝で、優勝候補筆頭のチームの絶対的エースとしてチームを優勝に導くことが出来るのか、その走りから目が離せません!!
駅伝シーズン、出雲では最長の6区を任されると、アンカー勝負となりましたが、ほぼ同時スタートだった東海をすぐに突き放し、山梨学院の猛追もかわして区間2位の好走、優勝のゴールテープを切りました。続く全日本でも最長の8区を任されると、今度は前を行く早稲田を49秒追いかける展開でしたが、6km過ぎには追いつき、あっという間に突き放して2冠&全日本で初優勝を達成しました。
そして迎えた最後の箱根ではエース区間の2区を任されると、2区3位、3年連続の67分台という走りでチームの3冠&3連覇に貢献しましたが、日本人トップの鈴木健とは39秒差をつけられたのは、ちょっと一色らしくなかったかも。。。
4年間、3大駅伝全てにフル出場、そしてその全てで主要区間を任されました。2年の箱根以降は全て区間3位以内で走っています。それでいて、区間賞が1度も無いというのが、ある意味他大のエースや留学生と常に渡り合ってきたことの証明でもあります。青学の栄光の歴史は一色とともにありました。