日本大学 ~2013年度4年生特集~
続いては日本大学の4年生を取り上げます。田村、森谷、日向野、津田、内田、古村の6人となります。そんな日大の4年生を見て行きたいと思います。どこの大学にも言えることですが、やはり下級生から戦力になっている選手が4年間活躍するのは難しいですね。ルーキーで箱根に出場した田村、森谷はともに故障に苦しみました。。。また、この学年は1年生の時に箱根予選と出雲が重なったため、メンバーを落とした出雲に出場した選手が5人いました。ただ、安田、加賀田、垂澤はいずれも選手一覧にはもう載っていなかったため、除外しております。(対象選手を在学中→OB含むで在籍してない選手も検索可能です)4年間活躍するだけでなく、4年間選手として在籍するだけでも難しいということですね。。。そんな日大の4年生を見てみたいと思います。
田村 優宝・・・黄金世代と言われた4年生で、中学生から世代トップクラスとして活躍してきました。高校では1学年上の村澤を破っての国体優勝が圧巻でした。大学に入ってからも1年生で全日本1区4位、箱根予選も全体で14位に入るなど、1年生らしからぬ安定した走りを見せました。しかし、5区を任された箱根では、途中で立ち止まってしまう場面もあるなど苦戦し、区間19位とブレーキになってしまいました。いくらスーパールーキーでも、5区は一筋縄でいかないと思わされました。2年生になると、全日本の1区で自身初かつ唯一となる区間賞を獲得しました。箱根予選も全体7位で走るなど、活躍しました。しかし、チームは箱根予選トップ10に3人送り込みながら、予選通過は出来ないというまさかの展開でした。。。
大学ベストを出したのも2年生ですね。5000m13分58秒、1万m28分48秒、ハーフ換算で63分40秒といずれも好タイムを記録しています。怪我さえ無ければ、このいずれも上級生になって更新出来るだけの選手だったのですが・・・3年生になると、全日本では1区9位、箱根予選も全体89位と2年生からガクッと成績を落としてしまいました。箱根も9区11位という結果で3年間の中では一番成績が悪かったですね。。。それだけ万全で臨めなかったということでしょう。しかし、4年生になると怪我の影響は更に大きく・・・箱根予選会は何とか出場しましたが、179位という散々な結果に。。。その影響もあってか全日本、箱根も出場出来ずに大学生活を終えることとなってしまいました。本当に怪我に悩まされた3,4年生でしたねえ。1,2年生の成績を考えると本当にもったいないですし、悔しい結果となってしまいました。。。
森谷 修平・・・1年生の時に全日本5区5位と上々の3大駅伝デビューを飾りました。しかし、まだ長い距離には対応出来ていなかったのか箱根予選は204位と大惨敗、それでも選手層が薄かったこともあって3区に抜擢されましたが、区間最下位の走りで2位で受けたタスキを9位まで大きく下げてしまいました。2年目以降にそのリベンジが期待されましたが、これまた故障の影響もあり、その後はぱったりと名前を聞かなくなってしまいました。このまま3大駅伝を走ることなく終わってしまうのかと思いきや最終学年で大きな飛躍を遂げることになります。5000mで14分11秒のベストを出すと、箱根予選会もチーム5位、全体で102位の走りで予選会突破に貢献すると、1万mのベストも28分52秒と一気に28分台ランナーの仲間入りを果たし、その勢いを買われて最後の箱根では2区に抜擢、キトニーが走らないため、苦しい走りになることが予想されましたが、ここで区間9位という力走を見せました。留学生以外が走ることもびっくりしましたが、それでいて区間一桁で走ったことにさらにびっくりしました。チームも見事にシード権を獲得し、森谷にとってもまさに最高の終わり方となったのではないでしょうか?2,3年生の時には陸上を辞めようかと思ったこともあると言っていましたが、最後まで諦めなかった気持ちが見事に報われました。
日向野 聖隆・・・田村、森谷とは違い、下級生の時にはあまり名前を聞かなかった選手ですね。しかし、3年生の時には箱根予選会で138位、箱根でも6区を任されて区間15位という結果を残しました。4年生になると更にスピードがついてきました。5000mは14分16秒のベスト、1万mも29分11秒まで伸ばしてきて、監督の評価も高くなってきましたね。最後の箱根は2年連続で6区を任されると区間10位できっちりとタスキを繫ぎ、日大のシード獲得に貢献しました。復路はほぼ一斉スタートだっただけに、この走りが大きかったですよね。6区で出遅れると、ずっと前を追っていかなくてはならない展開になりますから。。。森谷同様、有終の美を飾ってくれました。
津田 光介・・・1年生で出雲を走っており、4区を任された18位という走りでしたが、まだまだ力もない中、あれだけ遅れた展開ではどうしようもなかったですね。その後、実力で3大駅伝出場を勝ち取って欲しかったですが、結局一度も走ることは叶いませんでした。箱根予選は2,3年生で出場していますが、185位、279位といずれも結果を残すことが出来ませんでしたからね。これでは、ちょっと箱根は厳しいですよね。。。持ちタイムも5000mの高校ベストは結局更新できず、1万mの29分58秒も2年生のベストとなってしまいました。
内田 拓・・・津田と同じく1年で出雲を走って6区16位という成績を残しています。いくら箱根予選会重視とはいえ、まだ14分30秒台の1年生に最長区間の6区は酷でしたよねー。チームも結局18位という結果に終わっています。その後は、3大駅伝出場どころか箱根予選会さえ出場する機会を得ることは出来ませんでした。1万mのベストは2年時の30分7秒、ハーフも2年で65分19秒を出し、長い距離もいけそうかなあと思ったのですが、その後は名前を聞かなくなってしまいましたねえ。。。結局1年で出雲を走った5人はその後3大駅伝出場は叶いませんでした。日大の指導者がゴタゴタしていた時期とも重なっていますし、ちょっと育成という面でも苦しい時期でしたからねえ。それも痛かったかなあ。。。
古村 寿郎・・・5000mは14分51秒、1万mは31分30秒という選手ですが、2年生の時に学生ハーフで65分10秒という結果を残しているんですよねー。当時はチームトップ10に入るタイムでしたし、現在もチーム11番手のタイムではあるのですが、その後が続かなかったですねー。元々、1万mに比べて、ハーフが苦手な選手が日大には多かったので、箱根のチャンスもあるのかなあと思っていたのですが・・・3大駅伝だけでなく、箱根予選も走ることはありませんでした。。。
全体的に見るとそこまで活躍したという学年では無かったかなあ・・・田村の存在が飛び抜けていましたからねえ。。。日大の課題として、2番手以降がなかなか伸びてこないというのがここ最近ありますねえ。それだけに、今の3年生が複数戦力となってくれたのは大きかったです。最後の箱根も走ったのは森谷、日向野の二人だけでしたが、二人共いい走りをして後輩にシードを残せたのは良かったです。その一方で田村が走れなかったのはやはり残念でしたねえ。実業団は最も争いが激しいであろう日清へ行くだけに、早く万全になってまた輝いて欲しいです。